“戦争の狂気”九大生体解剖事件 2014/8/15






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☆タイトル:“戦争の狂気”九大生体解剖事件 2014/8/15

☆投稿者:dow999u

☆公開日:2014-09-20 09:50:24

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“戦争の狂気”九大生体解剖事件
2014年8月15日(金) 21時32分
終戦から、きょうで69年となりました。
反戦への思いを伝えるシリーズ、きょうは九州大学での「生体解剖事件」です。
捕虜となったアメリカ兵に対して実験的な手術を行い、死亡させたこの事件、当時、医学生として手術の様子を目にした男性は
「戦争の狂気が引き起こした」と話しています。
●九州大学医学部で案内する東野利夫さん
「あそこまでちょっと行ってみよう。おおよそこの辺です、おおよそ。向こうの表玄関の方が解剖の本当の出入り口、こっちは裏口」
福岡市中央区で長年、開業医を務めた東野利夫さん。
現在88歳で、すでに医療の第一線からは退いています。
東野さんが当時の九州帝国大学医学部に入学したのは、終戦の4か月前の1945年4月。
解剖学の教授について、医学の基礎を学び始めました。
そのおよそ1か月後の5月17日に、2人のアメリカ兵が医学部の解剖実習室に連れてこられました。
●東野利夫さん
「(アメリカ兵は)目隠しして、そして、手は手錠がかけられていた。『B‐29の搭乗員である』ということを、手術中に(日本軍の)参謀がちょっと説明したんです。
解剖実習室の台を手術台にして、(アメリカ兵は)そこに寝かされて上がる時は、やっぱり震えていましたね」
この日、アメリカ兵捕虜に対して行われたのは、治療などではなく、「実験手術」と称した「人体実験」でした。
九大医学部に連れてこられたアメリカ兵は、日本軍の戦闘機の体当たり攻撃を受け、大分県内の山中に墜落したB‐29の搭乗員。
墜落直前に緊急脱出したものの、日本軍に捕らえられました。
1945年3月以降、アメリカ軍は日本の都市への無差別爆撃を繰り返し、多くの市民が犠牲となりました。
国際法では「捕虜」を人道的に扱うことが定められていますが、日本軍は、都市爆撃を行った米軍機の搭乗員について、国際法に違反した「重犯罪人」とみなしました。
日本軍が捕虜をどのように扱ったか研究を続けている市民団体は、当時の軍の方針について、次のように話します。
●POW研究会・福林徹氏
「それぞれの軍管区で、『厳重に処置せよ』という秘密の命令が来るんですね。それが大きな転機になっています。『殺せ』とは命令は出してない
ということになるんですね。だけど、本音は『殺せ』ということなんです。いらないから、『殺せ』と。で、処置という言葉を使っているんですけどね」
「厳重に処置せよ」。
アメリカ兵が九大医学部に運ばれてきたのは、いわば「処刑」が目的で、死亡することを前提に、さまざまな人体実験を実施したのです。
●東野利夫さん
「なぜ、あれ(実験手術)をしたかというと、本土決戦になったらですね、日本人約1000万人ぐらいは血を流すであろうと。血液がどうしてもないようになるから、
『代用血液』を一刻も早く作れという。血液を抜いて、海水、今でいう博多湾から取ってきた海水を薄めて、生理的食塩水みたいにして(体内に)入れて、
これが『代用血液』になるかならないか、これが基本的な一番大事なテーマだったんですね」
実験の大きな目的の1つが「代用血液の開発」。
沖縄戦に続いて本土決戦が想定される中、海水を「血液」の代わりに使おうという例をみない実験が、アメリカ兵に対して実施されました。
実験は、それだけではありませんでした。
●東野利夫さん
「それから心臓まで傷が入った時に、心臓の手術ができるかどうか。心臓を一時、止めて、そして、マッサージをして、また、心臓を動かす。
肺の手術。片肺をとって人間が生きられるか」
実験後、捕虜たちは血液が抜かれ、息絶えたといいます。
●東野利夫さん
「B‐29っていうのは、本当に何というか、敵がい心をものすごく、みんな、持っとったからね、それは外科の医者でもね。だから、
敵がい心が強いから、しかも、軍に『協力する』じゃなし、軍がすることは間違いないと思って、協力したんだろうと思うしね」
http://www.peeep.us/896c4349